初期はスエードジャケット
その後大人びた革ジャンを愛するようになる
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‘60年代の初頭、プロテストソングの旗手として鮮烈なデビューを果たしたボブ・ディラン。プロテストソングとは政治的抗議のメッセージが強い音楽のことだ。反戦、公民権運動が盛んだった時代。労働者の感情を歌詞に乗せて歌った希代のフォークシンガー、ウディ・ガスリーに憧れた若き日のディランの着こなしは、ワークシャツに薄手のスエードのジャケットが有名だ。言ってみれば、労働階級に寄り沿った服装であり、’63年の出世作『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のレコードのジャケット写真では、このスエードジャケットを羽織り、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジの街角を恋人スーズと腕を組みながら歩くシーンが印象的だった。初心だったディランの心象を表しているようだ。
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だが次第に、政治にとらわれない音楽を求めるようになっていくディラン。’65年7月、ニューポート・フォークフェスティバル(※1)のステージでは、フォークギターからエレキギターに持ち替えて演奏する。フォークファンの観客からは大ブーイングを浴びたものの、ここがディランの音楽キャリアの転換期でもあった。かつてのワークウエアではなく、大人びたスーツスタイルの革ジャンを着てステージに立つことも多くなっていった。
意外と知られていないが、ディランは生粋のバイク小僧であった。’65年のアルバム『追憶のハイウェイ』のジャケット写真では、シャツの下にトライアンフ(※2)のTシャツを着ていたほど。ただ、ディランの運転は両足をステップから外して投げ出すなど褒められたものではなく、案の定’66年にディランはバイク事故をおこし、音楽生命も危ぶまれるほどの重体となった。この事故の影響で音楽活動は一時中断せざるを得なくなる。
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ところで、’60年代のバイク乗りの多くは、ライダースジャケットを好んで着ていたはずだが、この頃のディランのバイクシーンの写真に革ジャンのスタイルを見つけることはできない。自身には似つかわしくないと判断したのだろうか。それとも、プライベートでは着ていたのだろうか。事故を起こした際も、厚手の革ジャンをまとっていれば怪我もいくらか軽く済んだのかもしれない。その反省ではなかろうが、’70年代以降のディランは、革ジャンを頻繁に着るようになる。渋みを増した円熟のディランのスタイルはカッコいい。たしかに、ナイーブな20代のディランにハードな革ジャンは相応しくなかっただろう。本人も、ライダースジャケットに憧れながらも、手を出し難かったのかもしれない。
▼脚注
(※1)ニューポート・フォークフェスティバル:
フォーク時代の走りになる野外フェスティバル。1965年のライブは、ボブ・ディランが初めてエレキギターを持ってロックを歌ったことから伝説化している。
(※2)トライアンフ:
イギリスのモーターサイクルメーカーで、アメリカのハーレーダビッドソンと人気を二分するブランドとして知られる。
Bob Dylan <ボブ・ディラン>
アメリカ・ミネソタ州出身のミュージシャン。「フォークの神様」の別名があるように、初期はメッセージ性の強い音楽を打ち出し、全世界のミュージシャンに多大な影響を与える。代表作は『風に吹かれて』『時代は変る』『ミスター・タンブリン・マン』など多数。2016年に歌手として初めてノーベル文学賞を受賞している。