“命をまとう”ということ。伊藤健太郎が見た、革づくりの現場
10代の頃から革の魅力に心を掴まれてきた、俳優の伊藤健太郎さん。唯一無二のレザージャケットを仕立てるプロジェクトが始動し、究極の「自分らしさ」を表現するために彼が選んだのは、しなやかさが特徴の馬革。希少とも言われる馬革がどのように生まれるのかを確かめるため、日本の革の四大産地のひとつでもある兵庫県姫路市へと足を運んだ。
姫路市高木地区。革の町として知られるこの地域には、古くから続く製革業者が集中する。伊藤さんが訪れた「カドヤ商店」もそのひとつ。1949年の創業以来、馬革を専門に扱う希少なタンナーだ。創業当初は、馬革の薄くしなやかな特性を活かした革靴のインナーソールの製造を手がけていたが、現在ではレザージャケットなどの衣類やバッグ・財布などの小物のための革をメインで製造している。ブランドとのコラボレーションも多く、デザイナーたちからも一目おかれる馬革を生み出している。
生命を感じる、迫力あふれる原皮。
「うわ、すごい……!」
“パドル”と呼ばれる巨大な木製の半円筒型槽が並ぶ光景に、思わず伊藤さんが声を上げた。この中で行われているのは、“水戻し”と呼ばれる最初の工程。塩漬けされた馬の原皮をまる一日かけてもとの状態に戻していく作業だ。
「塩でギュッとしまっている皮を、まず生皮の状態に戻す作業です。これは革の質を決める、大事な作業なんです。何事も第一歩がいちばん肝心ってことですね」と話すのは、カドヤ商店の角谷領一さん。父で2代目の角谷美彰さん、そして3代目となる兄の角谷賢作さんとともに、馬革に特化した製革業を営んでいる。
足元に広げられた原皮には、馬毛が残っており、命の痕跡が感じられる。作業を進める角谷さんの隣で伊藤さんは、その様子を真剣な表情で見つめていた。
初めて見る大きなパドルに圧倒される、伊藤健太郎さん。
「水戻し」を行うための、巨大な木製のパドル。
まだ加工前の塩漬けされた馬の原皮。顧客からの依頼で、牛皮や熊皮も、独自の馬革のレシピで鞣している。
皮から革へ、無数のレシピで仕上がりを調整。
水戻しをした原皮は、約1週間かけて脱毛と石灰漬けを行う。その後、脂肪分を削ぎ落とし、また別の大きなドラム(回転機)に入れて、洗浄と鞣しの工程へ。鞣しを行うまでは皮の腐敗が進んでしまうため、時間との勝負でもあるという。原皮の一つひとつは、状態も違えば、気温や気候の違いで扱い方も大きく異なる。まさに生き物を相手にするような感覚だ。
カドヤ商店では、馬革のタンニン鞣しとクロム鞣しの両方を手がける。
「クロム鞣しは“革の優等生”。扱いやすくて安定します。一方でタンニン鞣しは手がかかるけど、深い味わいが出る。それぞれ異なる特徴があり、どちらも欠かせません」
「カドヤ商店」の角谷領一さん。ブランドやメーカーからの信頼も厚く、兄弟で馬革の新しい可能性を追い求めている。
角谷さんの一語一句に耳を傾ける、伊藤さん。
「馬革は薄くて傷が多く、非常にデリケートなんです。だからこそ、製造工程には技術とこまやかな気遣いが必要です。他方、その繊細さゆえに、独特の風合いと軽やかさが生まれるんです」。角谷さんがそう説明する横で、伊藤さんはうなずきながら革に手を伸ばす。
「すごく薄くて綺麗。生き物の皮膚という感じがします。爪先で傷をつけてしまいそうなくらい繊細でやわらかなんですね」。タンニン鞣し後の濡れた革に触れた伊藤さんは、そのやわらかさに驚く。
「この滑らかさこそ、馬革の特徴なんです」と、角谷さん。「ここから身体になじむ革にするために、さまざまなオイルや染料を入れていきます。乾かすまで、仕上がりはわかりません。馬革本来のしなやかさを探究する毎日は、実験のようで、いつも緊張感があるんです」
角谷さん家族が代々積み重ねてきた独自のレシピは、現在も角谷さん兄弟の手で進化を続けているようだ。伝統を受け継ぎながらも、変化していく時代やユーザーの声に応じて新しい馬革を生み出す姿勢が数多のレシピに表れている。
「このエリアには多くのタンナーがいますが、扱う皮の種類が異なれば、それぞれに違う製法がある。僕たちも日々隠し味を加えたり配合を変えたりと、試行錯誤しています」
伊藤さんは、一つひとつの工程を食い入るように見つめていた。
「革って、すごく深いですね。自分は、普段タンニン鞣しのベルトを使っていてその味わいが気に入っていますが、その革ができるまでにここまで手間がかかっているとは思いませんでした」
「馬革は主役にも縁の下の力持ちにもなれる存在」と語る角谷さん。伊藤さんにタンニン鞣し後の馬革を見せる。
右がタンニン鞣しの革。左がウェットブルーと呼ばれるクロム鞣しの革で、クロムの影響により青みがかった色をしている。
いくつもの工程を経て、唯一無二のしなやかな馬革が生まれる。
鞣しを終えた「革」は自然乾燥され、一枚一枚、用途に合った厚みに整えるために「シェービング」の機械に通されていく。その後、柔らかさと革本来の表情を引き出す「革もみ」の工程を経て、塗装、アイロン、艶出しへ。すべての工程は手作業で行われ、わずかな調整によって仕上がりの風合いが変わってくる。いくつもの工程を経て、原皮から製品に使える革へと整うまで、少なくとも1カ月。角谷さんたちは「革の都合を最優先する」ことを信条にしている。
「作り手のスケジュールに合わせるのではなく、革がいちばんいい状態になるように、ひと手間、ふた手間を重ねていく。時間をかけることが、より良い革を生むためにとても重要なんです」
今回、伊藤さんが選んだのは、タンニン鞣しを施して茶色に染色した後、黒やグレーを重ねた「茶芯」と呼ばれる革。角谷さんはさらに、独自の工程でサンドイッチのように塗装を重ねることで、馬革特有の光沢とエイジングを楽しめるよう工夫を凝らした。そして、ジャケットの襟に使うクロムで鞣されたスエード革は、まるでシルクのような滑らかさだ。
「いい色ですね! 優しいのに芯がある。肌にすっと馴染みます」。革を手に取った伊藤さんがうれしそうに微笑む。
「僕、ホースハイド(馬の胴体部分の革)のジャケットや小物がすごく好きなんです。なんとも言えない光沢感や、時間とともに変化していく風合いがたまらないんですよね」
角谷さんは、手塩にかけた馬革を、「この子たち」と愛情を込めて呼ぶ。そこには、食肉の副産物として生まれた革と命への感謝が込められている。
場所によって厚みの異なる革を、用途に合わせ均一に整える「シェービング」の作業。
染色の作業。濡れた革は非常に重く、すべて手作業で行うため重労働だ。
循環する命。革への感謝と想いを繋ぐ。
「革は、狩猟の時代からずっと人の暮らしを支えてきた素材です。動物を狩り、その肉を食べ、その革を身につける——。実はいまも、その関係は変わらない。だからこそ、手に入れた皮は余すところなく使いたいし、使い終わった後も自然に戻せるよう、土に還る革を模索しています」
カドヤ商店は、地域の企業と連携しながら、持続可能な革づくりを続けている。そのように革と実直に向き合う角谷さんの言葉に、伊藤さんは深く頷いた。
「手作業で一日中革と向き合っている姿に、感動しました。工程の一つひとつに温度があって、どの革も“人の手”で作られている。滑らかなスエードもしなやかな黒革も、すごい技術力です」
角谷さんは、革は使う人が仕上げるものだと語る。
「革は、僕らの手を離れた時点で70パーセントの完成度なんです。そのあとメーカーやデザイナーが仕立て、最後に使う人が着ることで、100パーセントにしてくれる」
角谷さんの言葉を聞き、伊藤さんは「かっこいいなぁ」と、静かに笑う。
「じゃあ僕は、この革を120%にしたいですね。ここで受け取った想いを、着ることでちゃんと伝えていきたい。特別な愛情を込めて作られた馬革だからこそ、こっちも丁寧な気持ちでずっと扱っていきたいです」
人の手と時間、そして命の記憶が確かに刻まれた、しなやかな馬革。次回ついに、そのレザーを使ったジャケット制作の工房へ向かう。
仕上がった革に触れ、その滑らかな肌触りに驚く。
レザージャケットのために選ばれた、薄くしなやかな2種類の馬革。スエードはジャケットの襟に、黒革はボディに使われる。
伊藤健太郎さん
1997年生まれ、東京都出身。モデルを経て、10代で俳優デビュー。『今日から俺は!!』で一躍注目を浴び、映画『惡の華』『とんかつDJアゲ太郎』などの話題作に出演。映像・舞台問わず、ジャンルレスに活躍を続ける注目俳優のひとり。2024年に『光る君へ』で大河ドラマ初出演を果たし、25年には、映画『少年と犬』や『#真相をお話しします』『ストロベリームーン 余命半年の恋』に出演。主演ドラマ『未恋〜かくれぼっちたち〜』や、ドラマ『彼女がそれも愛と呼ぶなら』(小森氷雨役)でも新境地を開いた。
Instagram: kentaro_official_
photography: Sayuki Inoue, movie director: Mitsuo Abe, cinematography: Kegan Yako, styling: Yuya Maeda, hair & makeup: Kenji Takeshima, text: Miki Suka
collaboration: Kadoya syoten