篠原ともえと熟練の革職人が描く、水墨画のような美しいグラデーション。

篠原ともえさんは先日、新たな作品づくりのために埼玉県草加市のタンナー伊藤産業を訪問し、エゾ鹿革に魅了された。人肌にもっとも近いといわれる鹿革特有の柔らかさ、綺麗な白色、そして個性的な革の端の形状が、大きなインスピレーションとなったようだ。

作品のコンセプトを固め、篠原さんは伊藤産業を再訪した。今回つくるのは、何とエゾ鹿革のきものだという。その重要なカギとなるのが染色の技術。この日は、伊藤産業で長年染色を手がけてきた、熟練の職人が試作を行うことになっていた。

*前回の記事はこちら

革の白さのバリエーション。

先日の訪問で篠原さんは白いエゾ鹿革と、同じく日本産の原皮で白く仕上げられたキョンの革を見ていた。伊藤産業の社長・伊藤達雄さんは、その2種類の革を同じ光のもとで見比べてみるよう、篠原さんにすすめた。篠原さんは、キョンの皮を鞣していた信高産業の菊地信吾さんとともに、自然光が入る工場の2階に上がった。

2種類の革を比べる篠原さん(左)と菊地さん(右)。1950年代当時の小学校と同じ造りだという伊藤産業の工場2階は、大きな窓から自然光が差し込む広大な空間。

「私はどちらも白いと思っていましたが、比べてみるとエゾ鹿革は少し青味がかっていて、キョンの革は肌色に近い白ですね」。そう言う篠原さんに、菊地さんは鞣す方法が違っていたことを伝える。「僕は白仕上げ用の薬剤や油を使っているので、柔らかさはないですが白く仕上がります。エゾ鹿革のほうがずっと柔らかさはあります」

エゾ鹿革は北海道の北見市から、伊藤さんたち草加のタンナー・メーカーのもとに届き、鞣しと加工を託されたものだ。草加では2021年秋に、全国で生態系保全のために捕獲される野生動物の“皮”を、草加の技術力によって“革”にして地元に返し、地域経済への貢献という新たな役割を与えるプロジェクトを始めた。最初は埼玉県秩父地域のニホンジカの皮革を加工、少しずつ関わる地域を増やして、2021年秋にこの事業を「ユーターンプロジェクト バイ 草加レザー(U-TaaaN PROJECT by SOKA LEATHER)」と名付けた。大きく前進するきっかけとなったのがこの北見のエゾ鹿革だった。大型で厚みがあり、保温性にも優れながら軽い仕上がりとなり、環境関連の展示会でも高く評価されたという。草加では染色や製品化などを一貫して行うことができるが、篠原さんは“クラストレザー”と呼ばれる加工前のエゾ鹿革の、革そのものの美しさに着目した。

下に敷いた大きな革がエゾ鹿革、小さな革がキョンの革。同じ光のもとで見ると、白の色味の違いがわかる。

いっぽう、キョンの革は弓具などに使用するための伝統的な方法で鞣されたもの。伊藤さんが前回、創業者である祖父から譲り受けたノートを見せてくれたが、菊地さんもまた先人が残したレシピのようなものを守りながらつくっていると話す。「機械が新しくなっていくなかで昔のものに寄せていく、新しい技術を使いながら、昔のものを使っている人にも納得してもらえるものをしっかりつくっていかなくてはと思ってやっています」。篠原さんもその優しいアイボリー系の白に心を留めた様子だった。「この美しさを、残していきたいですよね」

伊藤産業にはほかにも、さまざまな種類の白い革が。用途に応じて適切な方法で鞣され、自然光と風が入る環境で自然乾燥させる。

水墨画の風景を、革で表現する。

革の白さをそのまま生かすアイデアを膨らませるために、篠原さんは創作に用いる道具を携えてきていた。

和紙と墨汁で、さまざまな濃淡とパターンのグラデーションを描いていく。

「革の端の形がすごく綺麗だなと思って、見とれてしまったんです。有機的な曲線は、動物たちが住んでいる山の稜線にも見えてきて、想像がかき立てられました。この白い革にどんな色を施したら、より美しさが増すだろうと考えた時、墨汁が和紙にじわっと浸透していく水墨画のような、美しいグラデーションを革で表現できたら、と思いついたんです」

インスピレーションに導かれるまま描く自由な線と、山の稜線というモチーフを丁寧に表現した篠原さんの試作。

この日、伊藤産業で篠原さんを迎えてくれたのは、染色の職人である桐原義雄さん。すでに定年退職しているものの、その技術力を今回のプロジェクトに生かしてほしいと伊藤さんに誘われ、快諾してくれた。

染料を吹き付けるため、共同作業で革を板にピンで留める桐原さん(左)と篠原さん(右)。

桐原さんと篠原さんは初対面だったが、実はこの日を迎えるまでにすでに試作をスタートし、やりとりを重ねていた。郵送で届いた桐原さんによるグラデーションの美しさに感激しながらも、篠原さんは色の濃い部分ほど光沢が出ていることが気にかかり、伊藤さんに相談。水墨画の世界を表現するというアイデアを叶えるため、革の表面に色が留まる顔料ではなく、革に染み込んでマットな仕上がりとなる染料を使用することを提案してくれた。

作成したイメージ画を見ながら、試作する革のパーツをチェックする。

その染料を、桐原さんがスプレーガンを使って革に吹き付ける。吹いた後には、ドライヤーを使って革の表面を乾かしていく。「この染料には溶剤が少し入っていて、染料を革の中に押し込んでいくんです。だから乾かして、その上にさらに吹き付けることによって少しずつ色を重ねていきます」

まさに墨汁が和紙に染み込んでいくような、絶妙な濃淡を繊細にコントロールしながら表現するその職人技を目の当たりにして、「綺麗!」と篠原さんが感嘆する。

デザイン画を参照しながらグラデーションをつくる。ピンで留めることで革が染料を吸って縮んでしまうのを防ぎ、平らなまま乾燥させる。

自然光の入る位置で、色味を確認する桐原さん。

革を生かすことと、きものづくりの共通点。

実は篠原さんも、使用するエゾ鹿革を事前に数枚借りて端の形をスキャンし、その形状を山の稜線のデザインに落とし込んでいた。ひとつとして同じ形のない、自然が生んだラインを生かすため、実際にはそのとおりの形にならない可能性も踏まえてのデザインだった。そこに、はっとするような奥行きを感じるグラデーションが施されていた。

「グラデーションが少し違うだけで奥行き感が変わってくるので、画面上で何度かシミュレーションしました。革で表現するのはすごく大変かもしれません(笑)。でも、革の端の形が本当に美しいので、職人さんのお力を借りて、その形を生かして作品をつくりたいと思ったんです」

今回の作品は、先端技術を使ったデザインを、熟練の職人技で表現する試みでもある。

「このあたりだけ、もう3段階くらい濃くできますか。濃い部分がしっかりとあって、だんだん薄くなっていく、そうするとこの白い部分に重なった時に生きると思うんです」「なるほど。ここのヘリの部分をもっと濃くするんですね」。グラデーションを施した革のパーツとデザイン画を比べながら、篠原さんと桐原さんのやりとりが続く。

さらに、黒という色についても課題が持ち上がる。篠原さんは、濃い黒がやや赤味がかっていることが気になった。赤味を抑えて黒を濃くするにはどうしたらよいか相談すると、桐原さんはこう話す。「実は、日本人の目には青味の黒のほうが黒く見えるんです。そして難しいのは、ここ(自然光が入る場所)で見るのと、蛍光灯の下で見るのとでは、色が変わってしまうんです」

革の白さと同様に、染料の色も自然光で見るのが基本――職人たちが当たり前のように行っている習慣が、篠原さんに新鮮な気付きをもたらしたようだった。桐原さんは早朝から作業をスタートし、自然光が差し込む夕方まで、このグラデーションを続ける。どこか動物たちの生きるサイクルに配慮しているようで、“いただいた命を生かしたい”という篠原さんのコンセプトとも重なってくる。

デザイン画を見事に再現したグラデーション。山の稜線にはできるかぎり革の自然な形を生かすためにその後、稜線側にはピン留めしない方法を検討、変更した。

「桐原さんは手首を動かしながら、すごく綺麗に墨のようなぼかしを仕上げていくんです。その手さばきにすごく感動して、こうして職人さんはオーダーどおりに色を仕上げていくんだなあ、と実感しました。

私は普段から余りの出ないパターンで服をつくっているのですが、それはきものから着想を得ています。今回桐原さんによって丹念にグラデーションが施された革をきものにしたら、きっと美しい一枚絵になると思ったんです。また、四角く細長い反物を余すことなく使って組み立てられるきものの考え方と、大切な革をすべて使いきりたいという想いもリンクしました。職人さんとお話して意気込みのようなものを感じて、さらにインスピレーションが湧きました。私たちにしかできない作品を仕上げたいなと思います」

よりよい作品を目指して意見交換し、細やかな調整を重ねる篠原さんと桐原さん。

その後も篠原さんはたびたび伊藤産業へ足を運び、伊藤さんや桐原さんたちとともに作業を続けた。黒をもっと濃くするにはどうしたらよいか、革のシワをどうデザインに生かすか、きものや帯に使用する革の厚みはそれぞれどのくらいが適切か……いくつもの課題に、伊藤さんたちはこれまでに手がけたことのない方法も含めて、篠原さんに提案してくれた。それらをひとつひとつ自身のデザインチームとともに検証しながら、制作が進められた。次回の記事では、きものの縫製の工程をレポートする。

篠原ともえ Tomoe Shinohara さん
デザイナー・アーティスト
1995年歌手デビュー。文化女子大学(現・文化学園)短期大学部服装学科デザイン専攻卒。歌手・ナレーター・女優活動を通じ、映画やドラマ、舞台、CMなどさまざまな分野で活躍。2020年、アートディレクター・池澤樹と共にクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立。2021年、革きゅん第一弾でデザイン・ディレクションを務め製作した革アクセサリー「LEATHER-MADE JEWELRY」が、国際的な広告賞であるニューヨークADC賞において、トラディショナルアクセサリー・イノベーションの2部門でメリット賞を受賞した。
www.tomoeshinohara.net
Instagram : @tomoe_shinohara

photography : Sayuki Inoue director: Mitsuo Abe styling: Tomoe Shinohara hair & make-up: Misato Narita collaboration: Ito Sangyo, Sinco Sangyou special thanks: Fukushima Kagaku Kogyo

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